Sightseeing spot of France
フランスの観光地
エッフェル塔
フランスの首都パリのランドマーク
フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造されるべくコンペティションが開かれた。
1886年6月3日、コンペティション最優秀作品として委員会が選んだのは3案あり、
フェルディナン・デュテルとジャン・カミーユ・ルミジュの作品(美術館など)と、エッフェル、ソーヴエストル、
ケクランらの設計図であった。満場一致の採択であり、講評は「1889年の万国博覧会用に建てられる塔は決定的な特徴をもち、
金属産業の独創的傑作として出現しなければならない。この目的に十分かなうのはエッフェル塔のみと思われる」であった。
こうしてエッフェル塔建設が始まる。建設当時の高さは312.3m(旗部を含む)で、
クライスラービルが完成するまでは世界一高い建造物であった。現在は放送用アンテナが設置されたため、324mとなっている。
展望台は3つあり、高さは57.6m、115.7m、276.1mである。第2展望台までは階段でも昇ることが可能。
水圧エレベーターなど、当時の基本構造は今でも現役で稼動している。鋼製ではなく錬鉄製の塔である。
塔の支点の下には水平に保つためのジャッキがある。万博後には来訪者も減ったことや、
当初の契約から1909年には解体されようとしていたが、のちに軍事用の無線電波をエッフェル塔から送信することになり、
そのため国防上重要な建築物ということで、現在に至るまで残っている。現在ではパリを代表するシンボルとなっている。
1991年この塔を含むパリのセーヌ川周辺は世界遺産として登録された。
エトワール凱旋門
パリのシャンゼリゼ通りの戦勝記念碑
パリの象徴的な建造物の一つ。この凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを始め、
12本の通りが放射状に延びており、その形が地図上で光り輝く「星=étoile」のように見えるので、
この広場は「星の広場(la place de l'Etoile)」と呼ばれていた。なお、「凱旋門 Arc de triomphe (アルク・ド・トリヨーンフ)」
の直訳が「戦勝のアーチ」であることでも分かるように、「凱旋門」自体は戦勝記念碑である。
古代ギリシャ、ローマを模範とする新古典主義建築の代表作である。
シャンゼリゼ通りとこのエトワール凱旋門の延長線上のラ・デファンスには「新凱旋門 グランダルシュ」
(la Grande Arche、またはl'Arche de la Défense) があるが、これは戦勝記念碑ではないので、
正式名称に "triomphe" が付いていない。すなわち「凱旋門」ではない。しかし、シャンゼリゼ通りの都市軸上にある、
カルーゼル凱旋門・エトワール凱旋門に続く第3番目の「門(arc, arche)」であるとの認識があるため、
フランスの国の標語である「Liberté, Égalité, Fraternité」(自由、平等、友愛)から、
「La Grande Arche de la Fraternité」(直訳 - 友愛の大アーチ)との正式名称を持つ。
エトワール凱旋門は、前年のアウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年、 ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まった。ルイ・フィリップの復古王政時代、 1836年に完成した。エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦の無名戦士の墓がある。 第二次世界大戦ではナチス・ドイツのパリ占領に際してナチス・ドイツ国旗が掲げられ、ヒトラーが戦車で凱旋した。
ルーヴル美術館
パリにあるフランスの国立博物館
メトロポリタン美術館(アメリカ合衆国ニューヨーク)などと並んで世界最大級の美術館の1つであるとともに
ヨーロッパで最も古い美術館の1つに数えられる。世界遺産パリのセーヌ河岸に包括登録されている。
世界的に有名な絵画・彫刻を多数所蔵している。ルーヴル美術館は、パリの中心部、セーヌ川の右岸に位置し、
ルーヴル宮殿の大部分を占めている。
展示館は、東端のクール・カレ(方形中庭、Cour Carrée)を囲むシュリー翼 (Aile Sully)、 その南西からセーヌ川沿いに西へと伸びるドゥノン翼 (Aile Denon)、シュリー翼の北西からリヴォリ通りに 沿って西へと伸びるリシュリュー翼 (Aile Richelieu) に分けられる。各建物は半地下 (entresol)、 1階 (rez-de-chaussée)、2階 (1er étage)、3階 (2e étage) の4層に分かれる。なお、日本語とフランス語 では階数の数え方が異なり、日本語の「1階」「2階」「3階」をフランス語ではそれぞれ「地階」「1階」「2階」 と表現する(以下の説明文中の「1階」「2階」等は日本語式の「1階」「2階」を指す)。美術館への入口は、 セーヌ川沿いのライオン門入口 (Entrée Porte de Lions)、地下ショッピング街に直結したカルーゼル入口 (Entrée Galerie du Carrousel) もあるが、メインの入口は、中庭のガラスのピラミッドの入口 (Pyramide entrée principale) である。ガラスのピラミッド下のナポレオン広場には、各言語版の館内案内図が 常備されたインフォメーション・カウンターや入場券売場があり、ここからシュリー、ドゥノン、リシュリューの各翼や、 レストラン、カフェテリア、ミュージアム・ショップへと向かうことができる。シュリー翼の位置は、 中世にルーヴル城が建設されたところで、地下には中世の要塞の遺構が保存され、1・2階にはエジプト、 古代ギリシア、古代オリエントの美術、3階にはフランス絵画が展示されている。ドゥノン翼は、 長大なグランド・ギャルリ(大ギャラリー)を含む建物で、半地下と1階にはギリシア、エトルリア、 ローマ美術と中世ヨーロッパの彫刻を展示し、2階の大ギャラリーはイタリア絵画を中心とする絵画の展示場となっている。 リシュリュー翼は、1981年以降の大ルーヴル計画によって拡充された部分で、フランス彫刻、工芸品、 北方絵画(ドイツ、フランドル、オランダなど)の展示場にあてられている。2階の工芸品展示室では、 ナポレオン3世の居室の室内装飾も展示の一環となっている。
【収蔵品/古代オリエント部門】
この部門は、キリスト教発祥の地であり、西洋文明の故郷でもある中近東、具体的にはレバント、
メソポタミア、イランなどの地域の古典美術を対象とし、シュメール文明、アッカド帝国、
バビロニア王国、アッシリア帝国、アケメネス朝ペルシャなど、西暦紀元以前数千年にわたりこの地に栄えた諸文明の遺産がみられる。
【収蔵品/古代エジプト部門】
1826年にはエジプト部門が設けられ、カイロ博物館やメトロポリタン美術館と並ぶ、
世界最大級のエジプト美術のコレクションを誇る。シュリー翼半地下の「中世のルーヴル」
の展示室から南側の階段を上がると、第1室で、大スフィンクス像が鑑賞者を迎える。
シュリー翼1階は神殿、葬送美術、生活文化などのテーマ別展示、同2階は時代別展示となっている。
22室の『書記座像』などが名高い。
【収蔵品/古代ギリシア・エトルリア・ローマ部門】
新石器時代から、6世紀のローマ帝国末期までの美術品が豊富に収蔵されている。
作品は石造彫刻が主となるが、他に、陶器、ブロンズ製品なども豊富に有する。
古代ギリシアの絵画作品は地上からほとんど失われているが、豊富に現存する陶器の上絵によって、
その片鱗が窺える。ヘレニズム期に属する『ミロのヴィーナス』『サモトラケのニケ』はいずれもルーヴルを代表する著名作品である。
【収蔵品/イスラム美術部門】
世界でも有数のイスラム美術のコレクションを有する。この部門はかつては古代オリエント部門に包含されていたが、
2004年に独立の部門となった。ウマイヤ朝、アッバース朝、ファーティマ朝、セルジューク朝、マムルーク朝、
ムガル帝国など、時代的には7世紀から19世紀、スペインからインドに至る広大な地域に興亡したイスラム王朝が生んだ陶器、
ガラス器、金属工芸、象牙細工などの遺産が展示されている。
【収蔵品/絵画部門(フランス)】
ナポレオンの時代、イタリア遠征等によって国外からもたらされた大量の美術品は、
ナポレオンの失脚、王制復古とともに1815年にはその大部分が元の国へ返還されたが、
19世紀以降もルーヴルの絵画コレクションは増大を続け、自国フランスのみならず、
イタリア絵画、北方絵画にも名品が多く、これらの外国絵画にも多くの展示スペースがさかれている。
『ジャン2世善良王の肖像』『ナポレオンの戴冠式』ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』
『サルダナパロスの死』ジェリコーの『メデューズ号の筏』などの大作が展示されている。
【収蔵品/絵画部門(イタリア)】
展示はボッティチェッリのフレスコ画から始まり、セーヌ川沿いに延びるグランド・ギャルリを経て、
『モナ・リザ』、同じ部屋には巨大な『カナの婚礼』(ヴェロネーゼ)が掛けられている。
ルーヴルの数ある絵画作品の中でも『モナ・リザ』だけは別格扱いで、絵の傍らには常に館職員が見張りに立っており、
鑑賞者は一定の距離以上は絵に近づけないようになっている。
【収蔵品/絵画部門(北方)】
初期ネーデルラント、オランダ、フランドル、ドイツなどのいわゆる北方絵画、
オランダ・フランドル絵画の黄金時代であった17世紀までの作品が中心となっている。
18から19世紀の作品およびスイス、スカンディナヴィア、ロシアなどの絵画が展示されている。
ルーベンスの『マリー・ド・メディシスの生涯』の連作も展示されている。
【収蔵品/彫刻部門】
古代オリエント、古代エジプト、古代ギリシア・エトルリア・ローマの彫刻作品が展示されている。
ルーヴルの「彫刻」部門の収蔵品は、フランスを中心とするヨーロッパの彫刻作品である。
1871年、プティ=ゾーギュスタン修道院にあったフランス国立記念物博物館が閉鎖され、
同館のコレクションがルーヴルに移管された。その後、1892年に工芸部門から彫刻部門が独立し、今日に至っている。
【収蔵品/工芸部門】
時代的にはローマ帝国時代から19世紀まで、内容的には「彫刻」に分類されているもの以外の小彫像、
象牙細工、エマイユ、メダル、陶器、タペストリー、宝飾品、家具などがここに含まれる。
コレクションにはフランス国王の宝物室にあった品や、サン=ドニ王立修道院に収められていた、
「レガリア」と称するフランス国王戴冠式の用具なども含まれる。
ノートルダム大聖堂
シテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂
「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録された。
現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている。
ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。
ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域であったが、ローマ崩壊後、 キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、 現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成した。ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、 ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられた。最終的な竣工は1345年。 ファサードを装飾する彫刻、屋根の塔、その他多くの部分は、 19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクによって大幅に改装されたものである。
サント・シャペル
「聖なる礼拝堂」
フランスのパリ中心部、シテ島にあるゴシック建築の教会堂。
おそらくゴシック建築が最も輝かしい時期の頂点ともいえる傑作である。1241年に計画され、
早くも1248年の4月26日には献堂された。サント・シャペルにはそれにふさわしい聖遺物、
キリストのかぶった荊冠が納められた。 多くの貴族のように遺物を盗み出すことはせず、
聖ルイはキリスト受難の貴重な聖遺物をコンスタンティノープルのラテン帝国皇帝ボルドワン2世から
135,000リーブルの大金を支払って購入した。 これに対してサント・シャペル全体を建築するためにかけられた
金額は40,000リーブルだった。 聖十字架のかけら等の聖遺物も加えられた。
このようにサント・シャペルの建物は、貴重な聖遺物入れとなった。教会で視覚的に最も美しく、
このタイプでは世界でもベストだと考えられているのが、サント・シャペルのステンドグラスである。
その石細工は繊細な構成で、バラ窓は15世紀に上のチャペルに加えられた。直接建設に携わった設計士や建築家の名は、
ピエール・ド・モントルイユ。フランス革命期、サント・シャペルは行政の事務所として使われ、
窓は巨大な整理棚で隠されていた。その美しさはほとんど忘れ去られていたため、たまたま破壊から免れたが、
クワイヤの聖歌隊席や内陣障壁は破壊され、尖塔は引き下ろされ、遺物は散逸してしまった。サント・
シャペルは1862年に国立歴史記念館となった。
オルセー美術館
パリにある19世紀美術専門の美術館
オルセー美術館の建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、
オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった。
設計者はヴィクトール・ラルー。美術館の中央ホールは地下ホームの吹き抜け構造をそのまま活用している。
建物内部には鉄道駅であった面影が随所に残る。現在ではパリの観光名所としてすっかり定着した感がある。
なお、旧印象派美術館(ジュ・ド・ポーム)の収蔵品はすべてオルセーに引き継がれている。
館の方針としては、原則として2月革命のあった1848年から、第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品を展示することになっており、
それ以前の作品はルーヴル美術館、以降の作品はポンピドゥー・センターという役割分担がなされている
(むろん、多少の例外はある)。絵画、彫刻だけでなく、写真、グラフィック・アート、家具、
工芸品など19世紀の幅広い視覚芸術作品も収集・展示の対象になっている。オルセーでは、
印象派やポスト印象派など19世紀末パリの前衛芸術のコレクションが世界的に有名だが、
19世紀の主流派美術で後に忘却されたアカデミズム絵画(アール・ポンピエ)を多数収蔵・展覧。
オテル・デ・ザンヴァリッド
パリの歴史的建造物の一つ
旧・軍病院。1671年にルイ14世が傷病兵を看護する施設として計画し、
リベラル・ブリュアンが設計の指揮をとり1674年に最初の傷病兵たちが入った。
建築史上有名なのは附属する礼拝堂の建築である。教会の建設は1677年に始まり、
後に兵士の教会とドーム教会に分かれジュール・アルドゥアン=マンサールのもとで1706年に完成した。
ドーム教会の地下墓所にはナポレオン・ボナパルト(フランス皇帝ナポレオン1世)の柩が中央に置かれている。
また、それを囲むようにして、ナポレオンの親族やフランスの著名な将軍の廟が置かれている。
21世紀当初となっても100人ほどの戦傷病兵や傷痍軍人が暮らしている。一部は軍事博物館として公開されている。
セーヌ川
パリの川
フランスを流れる河川である。流域も全体がフランスに属している。
全長780kmは、フランスではロワール川に続いて第二の長さ。
ディジョンの北西30kmの海抜471mの地点に源を発し北西に向かい、
パリを流れ、ル・アーヴルとオンフルールの間のセーヌ湾に注ぐ。
中下流部は大きく蛇行した流れが特徴で、パリを抜けるあたりから何度も繰り返す。
ジヴェルニー、ヴェルノンの付近は、しばらく治まるが、ルーアンの近辺でふたたび蛇行が始まる。
河口付近の川幅は大きく広がっており、湾と言っても差し支えないほどである。
ル・アーヴルとオンフルールの間に、1995年にノルマンディー橋が完成するまでは、
両市の陸上交通は、さらに20kmほど上流のタンカルヴィル橋までさかのぼらなければならなかった。